前回の記事はもう連載と言ってはいけないくらい前に書いたので、改めて振り返りたいと思います。
本業はWebディレクターの私。
コピー全盛期の広告に憧れ、あらゆる提案にやってみたい案を忍ばせていたけれど、これまで採用されたことがありませんでした。
そこで、自らがクライアントの立場になって、誰かのために本気でポスターを作ってみようと奮起。
素晴らしいコピーを知人である古賀氏にかいてもらい、デザインは突如あらわれたキリストに依頼。
果たしてポスターは完成するのか。
これまでの記事はこちら
#1 イントロダクション と #2 一人ネタ会議
#3 コピーを考える と #4デザインを考える
#5 文字を書く
筆文字のポスターに惹かれるのは
単純に書道が好きだからだ。
子供の頃から、目の前の余白を見つけては字を書いていた。
チラシの裏はもちろん、新聞紙の欄外、
ティッシュケースの箱は面を埋めた。
ポスターのコピーは自分の書いた筆文字と決めていた。
納得するまで書く、もうこれしかない。
相田みつを先生風でも湘南乃風でもなく、B案も作らなくても良い。
自分がいいと思ったものをかけばいい。
字を創作する時、必ず参考にするものがある。
「字源」という字典である。
とにかく分厚くて重い。
のど布をいたわりながら、丸太を転がすように本棚から取り出す。
昔の書家が残した石碑や書簡等、文字をそれこそ字ごとに並べたものだ。
字は面白い。
どこでもどんなときでも、複製できる。
しかもそのカタチがなにかしらの意味をもって、
自分ではない人にそれを伝達する。
たとえ言語化されなくても、心揺さぶるものがそこに存在している。
今日も意訳できない英語のTシャツを着ているように。
書くって面白い。
書いているのはこの右手でもなく、筆でもなく、脳が書いている。
Ipadに指を滑らせても、砂に足で書いても、
自分の書く字は同じなのだ。
ちょっといつもと調子を変えて、
粋な字を書きたいなぁと思ったら、
書家たちの文字をトレースし、まんま真似て書いてみたりする。
自分の脳では思いつかないところに刺激を与えるようなイメージである。
書家の中には利き手の反対で書いてみたり、あえて制御するのが難しい道具を使ったりするのは、この刺激の一つなのではと解釈している。
トレースするといっても、筆の入り方や、力の抜き方、
筆の穂先がどこを向いているのかを研究しないと同じようにはかけない。
何度も何度も繰り返しているうちにようやく似つかわしいものが書けるようになるのだけれど、もうそれは鍛錬そのものである。
この一連の作業で頭を柔らかくしてから、実際に書いてみる。
子供が寝静まってから、何日か書き続けた。
今回はポスターである。
見る人がコピーを読めるよう、そこには気を配った。
筆文字は調子に乗ると視認性を失いがちである。
その字がこれ。
#8 デザインして 紙を選ぶ
キリストとは何度も打ち合わせをした。
その度、ついつい話し込んでしまう。
不思議なもので、同じモノづくりをしていると、
同志という気持ちが増してくる。
巻き込んでおいて勝手なもんである。
写真と筆文字が映えるレイアウトを模索してもらった。
最終落ち着いたのはB3ワイド、電車吊り広告と同じサイズである。
長い縦書きのコピーにしっかりと余白が生きていた。
キリストは知りたがりの私にひとつひとつ丁寧に教えてくれた。
気にもしなければ「当たり前」に変換されてしまいそうな、
きめ細やかな作業を繰り返しているのが窺い知れた。
それでも私が見えている作業はほんの一部であろうと思う。
その次の打ち合わせでは、
実寸大で出力され、元A3の紙が丁寧にテープでつなぎ合わされていた。
このサイズのデザインを数インチのモニターで作っているんだから、そのイマジネーションたるやすごい。
紙は、実際の手漉きの紙に近いものよりも、墨の色がよりきれいに再現できていて写真の色が映えるちょうどよい塩梅のところで決定した。
普段Webばかりを作っているので、初のポスター制作はいちいち感動が過ぎた。
言うまでもないことも、この際言ってしまうけれど、
ポスターは表側一面。ここに見えているものが全てなのである。
Webのように、見ている人がどんな画面サイズで、どんな機種で、どんな通信環境で見ているかなんて気にしなくてもよい。
今ここにある、このサイズ、この色、この質感、厚み、匂い…。
この現物がそのものなのだ。
とんとん拍子で決まっていって、
小説の読み終わりのような寂しささえ芽生えはじめていた。
このプロジェクトはポスターの印刷が完成した時点で終了するはずだったのだが、“貼る”という行為まで試したくなってしまった。
そこで、知り合いのカメラマンにお願いし、
私が住む街の、中でも大好きな場所に貼ってもらえることになった。
このポスターが貼られているその場所で、
誰もが平たく均等にこのポスターと相対する。
そして、その場所によって、見る人の捉え方も変わる。
雲みたく浮遊しているようなWebサイトに対して、固有の場所を持ち合わせているポスターとでは大きくその部分が異なっており、私にとってはそれがこの上なく新鮮であった。
#さいごに
初のポスター制作はやってよかった。
そもそも、この企画の発端は、案出しで勝てない理由を探るためだった。
普段とは逆の、自らがクライアントの立場になって、伝えたい人に想いを伝えてみる。それを本気でやってみたのだ。
残念ながら、明日から勝てるテクニックはみつからなかった。
だけど、何となく“勝つためには必要なこと”を窺い知れた気はしている。
今回私はクライアント役であり「妻」であり、伝えたい人は「夫」である。
まさか自分もとは思わなかったけど、
子供が生まれてからは子供中心で、
夫の「知ってた?」からはじまる豆知識にも、
「これどう思う?」とスマホを傾ける相談にも、
十分に時間を費やせていない。
慢性的に私の気は散漫している。
このポスターをつくったからといって罪償いをしたいわけでもなく、何かが劇的に変わるとは思わない。
明日から急に自分のキャパシティが増量するとも思わない。
だけど、私がこのプロジェクトにかけたエネルギーを思うと、
相手に想いを伝えることは、容易なことではない。
それを身をもって知ることができた。
きっとやろうと思えば簡単なことだという安直さや、あえて伝えずともわかるであろうという甘えもあるかもしれない。
実家が近い人ほど帰省する回数が減る理論に似ている気もする。
自分以外の誰かに想いを伝えるということが、
最初っからエネルギーが必要なものだとわかっていれば、
高カロリーを摂取して挑めば良いのだ。
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クライアントは相当なエネルギーを費やしている。
だからこっちも、それに相応する心構えと、最大限にパフォーマンスを発揮できる環境を準備しないといけない。
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面白がって一緒にコピーを考えてくれた古賀さん
デザインを何校も作ってくれたキリスト、高田さん
大切なお店にポスターを貼らせていただいたオーナーさん
何を撮ってんだと自問自答したであろうカメラマンの井上さん
紹介しきれなかったけれど、ポスター制作を応援してくれたveryの仲間
たった一人に想いを伝えるためのポスターに
これだけの多くの方の協力をいただき、人生初のポスターが作れたことは間違いなく幸せ者である。
私のクライアントは、
果たして今の自分と同じ気持ちになれているのだろうか。
協力
コピー:古賀さん
デザイン:高田さん
印刷:日光プロセスさん
カメラマン:井上さん
撮影場所提供:
リトルバード 竹内さん
abcde 日比野さん
ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。